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安彦孝真選手記念ボトルの誕生秘話

安彦選手との出会い

私は中学校を卒業すると同時に、サッカー留学のためにブラジルへ渡りました。現地のクラブに所属してプロを目指していたのですが、なかなか結果に恵まれず日本へ帰国しました。その後、日本にあるエドゥーのユースチームに所属し、そのとき同じチームメイトとしてプロを目指している安彦選手と一緒になり、切磋琢磨の日々を過ごしました。

当時の印象

安彦選手は当時からレベルが高く、DFとして彼が抜かれる姿をほとんど見ませんでした。また、偶然にも彼は私と同じブラジル帰りということで、1対1での勝負強さをしっかりと覚えています。ただ、そんな彼のDF能力に対して唯一例外だったのは中村俊輔選手です。テストマッチの最中、安彦選手がとても簡単に抜かれてしまったのです。後にも先にも、彼があんなに簡単に抜かれてしまう姿はいまだに見たことがないです。 なお、余談ですが私もその試合に出ており、私は中村選手に抜かれませんでした。これは小さな自慢です。安彦選手の抜かれ方を見て、私は中村選手の左足一本にマークを絞って対応したのです。すると中村選手は勝負を避け、パスで流れていきました。なので私は抜かれていないです。

プロ契約を諦めて第二の人生がスタート

安彦選手も私も一生懸命プロを目指していたのですが、最後までプロ契約までにはいたらず、安彦選手は大宮アルディージャの通訳の仕事、私は東京都品川区にあるワインバーでバーテンダーの仕事に就きました。いわゆる夢破れて第二の人生のスタートです。私は別業種ですが、安彦さんは引き続きサッカー業界に関っており、好きなことに携われるのは幸せだなと当時はぼんやり思ったことを覚えております。毎回事あるごとに熱心にサッカー界に携わることを誘ってくれ、ついに私はブラジルに戻ってサンパウロにてライセンスを取得することになりました。そして、安彦さんの誘い受けて現北澤豪サッカースクールのコーチとしてお手伝いをしています。

1本の電話から始まる

ある日、久々に彼から電話があり、もう一度プロを目指すから手伝ってほしいと言われました。40歳を迎えるにあたり、忘れ物を取り返す、後悔を取り戻すとのこと、Jリーガーになるんだという話でした。 俄然私も燃えてきて、あの当時の夢よ再び、二つ返事でオッケーしました。そこから皆さんのご存知の通り、40歳からのプロのJリーガーを目指す物語です。目の前でコンディションが整っていき、この歳でもグングン技術も伸び、アクシデントで怪我をも乗り越えて、本当にJリーガーになりました。プロに合格した時は、自分の事のように本当に嬉しかったです。 色々な雑誌やコラムに話が掲載されていると思いますが、実は私もちょっとだけ彼の夢に携わった一員です。自分の夢を代わりに叶えてくれて、9割のうれしさと1割の悔しさです。自分がなりたかったプロに自分はなれなかったという点で1割ダウンです。あ、0.5割くらいかもしれません。まあ、そんな感じです。

ワインの話

安彦選手がサッカークラブをサポートする仕事に就いている頃、私も第二の人生をはじめました。27歳からの未経験、そろそろ同級生は結婚したり部下ができたりしている頃です。 あとはないので前に進むのみ、必死で勉強をしました。最初はいろいろ苦労しましたが、次第にリピーターのお客様に恵まれ、今ではオーナーからお店を譲っていただき、会社を興して自分のお店でワインを提供するようになりました。そんな私が自信をもってオススメするスパークリングワインの赤と白を使って記念ボトルをお届けします。

支援金の話

収益の全てと販管費の一部が安彦選手の活動資金に供託されます。皆様、ぜひお手に取っていただくとともに、ご支援のほど、どうぞよろしくお願いします。